すきなくらし

映画、ドラマ、小説、舞台等の感想記録と、たまに雑記

『霧の中の風景』感想

霧の中の風景』TOPIO STIN OMICHLI

1988/ギリシャ・フランス
監督: テオ・アンゲロプロス
出演: ミカリス・ゼーゲ、タニア・パライオログウ、ストラトス・ジョルジョグロウ


作品紹介(映画.com)

ドイツにいると聞かされた見知らぬ父を求めて、12才の少女と5才の弟が夜行列車に飛び乗った。オートバイの青年への報われない初恋、死んだ馬が引きずられていった雪の夜、疲れきった旅芸人たちが休む海辺、港から吊り上げられる巨大な手、そしてフィルムの切れ端の中に浮かぶ1本の樹……痛切に美しい詩のような風景の中を進むふたりが旅の果てに見るものは……。アンゲロプロス監督が娘たちのための寓話として作った人気作、ヴェネチア映画祭銀獅子賞最優秀監督賞受賞。





感想


※結末に触れてます。





字幕が池澤夏樹でした。驚き。












最初あらすじを読んでいた時は、「詩的」な映画なのだろうと思っていた。
実際観てみると、「詩的」というよりは「絵画的」。
多くの場面カットが強烈な印象を残す。

警察署で謎の言葉を発する中年婦人。
雪の中、空を見上げ微動だにしない人々。
花嫁が泣きながら走って来、馬が引きずられ死に、結婚のパレードが背後を通る。
役者たちが無表情で、足並み揃えてこちらに向かってくる。
列車の中から見る黄色いコート(?)の男性たち。
海から吊り下げられる巨大な手。
そう、そしてラストの木。絵画的だと思っていた映画が、絵画となった瞬間のラスト。



アンゲロプロス監督が娘たちのための寓話として作った」とあるが、寓話としてはあまりにも残酷である。
人間の汚さを痛烈に感じる場面もある。

内容は残酷で、画面は美しい映画。
姉弟が通る道々に見る人生の断片。
ふわふわとどこか現実的ではないようで、残酷なまでに現実的でもある。



絵画のような場面の中、青年がいる時には映画は生き生きとしていた。生きていた。
しかし青年は魅力的で優しく、生気に溢れていたのに、彼もどこか現実離れしたような……。
こういうのも照れくさいが彼は天使のようで、でもそのくせ生々しい。人間だから。



この映画は生々しさと、夢のような存在感が同居している。




強烈な印象を残す多くの場面は、いったい何を伝えようとしているのだろう。何のメタファーなんだろう。
雪。馬。手。木。





少女は青年に恋をした。
青年も分かっていた。
「誰でも最初はそうなんだ」「心臓は破れそうになる」「足は震える」「誰でも最初はそうなんだ」
抱き締めて何回も繰り返す。
二度と会えないだろう別れ。





ラストは色々な解釈があるのだろう。
でも多分、多くの人が思うように、私も思った。
姉弟は死んでしまった。


霧の中。
今までは姉が弟に「怖い?」と聞いていた。
ここでは弟が姉を励ます。姉から聞いていた物語を、今度は弟が姉に語り出す。「まず初めに、混沌があった。それから、光がきた」
霧が晴れ、見えてくる一本の木。
彼らはそこへまっしぐらに駆けつけ、木を抱き締め、絵画となる。


彼らが霧の中で一本の木に辿り着いたのは、あの青年から示されていたからだろうか。
落ちていたフィルム。霧の向こうに、一本の木。
それが、姉弟の心の目標となったのか。


何にせよ彼らは目指すところに辿り着いた。そしてもう彼らは永遠にその瞬間に留まるのだ。絵画のように。







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