すきなくらし

映画、ドラマ、小説、舞台等の感想記録と、たまに雑記

私は幽霊を見たくない ー藤野可織『私は幽霊を見ない』を読んだ

藤野可織『私は幽霊を見ない』を読んだ。とても面白かった。

藤野さんは面白い。怖がりなくせに幽霊を見たがっている。妙に肝が据わっている。

文章も面白く、イギリス人幽霊や四谷怪談のくだりではかなりニヤニヤしてしまった。せっかく出てきたのに、言いたいことが伝わらないイギリス人幽霊の哀れなこと。四谷怪談のねずみの突っ込みどころ。ねずみだから格好がつくが、他の干支だったらどうするのだ。ちなみに私も申年なので、本文の藤野さんのツッコミと全く同じことを思った。

読んで数日経った今でも、まだ思い出してニヤニヤできる。

私も怖がりだが、藤野さんとはちがう。私は怖がりだから、幽霊は見たくない。だって怖い。私はホラー映画やホラー小説を好むし、それらをあまり怖いと思うこともないけど、それはフィクションだと分かっているからだ。現実だと、子どもでも笑うようなハリボテのお化け屋敷でも、周りが引くくらいビビっている。良い大人だが、怖いものは怖い。この場合は偽物か本物かはあまり重要じゃないんだと思う。雰囲気でビビっているようなものだ。
それが本物の幽霊なんて、冗談じゃない。心霊スポットにも絶対に行きたくない。面白半分に行ってみて、万が一本当に出くわしたらどうする。きっと腰を抜かす。そして私一人置いてけぼりにされる。更に呪われでもしたらたまったもんじゃない。好き好んで心霊スポットに行く人の気が知れない。だいたい不謹慎ではないか。行って酷い目に遭っても、それは自業自得だろう。私は酷い目には会いたくないので、行かない。

私は幽霊を見ない。
霊感もゼロだと思う。知らずに心霊スポットに行ったことがあるが、何も感じなかった。
そこは有名なビックカメラなんば店。あの千日デパート火災の跡地にある。いまだに多くの心霊話が飛び交っている。しかし全く、何も感じなかった。あとから知っても、あそこが?と疑心暗鬼に思ったくらいだ。

藤野さんの本を読んで、世の中にはこんなに心霊体験、もしくは「説明のつかない不可思議な体験」をしている人が大勢いるのかと驚いた。私の周囲には全くいない。いや、聞いていないだけで、もしかしたらみんな何かしら体験しているのかもしれない。試しに聞いて回ってみたら、面白い話が聞けるだろうか。
自身に関しては、注意力というか「不思議なことを不思議だと思う力」が欠けているのではないか?と思わなくもない。あれ?と軽く疑問に思いつつ、流しているのではないか。流してしまったら、それはただ忘れ去られるだけだ。

とは言えそんな私にも、とてもとても幼い頃には、不思議体験があったらしい。親の話だ。
一つは、ある神社(だか寺だか、判然としない)には絶対に入りたがらなかったこと。親が連れて入ろうとするとギャン泣きした。親曰く、何か良からぬものが見えていた(感じていた)んだろう、とのことだが、それはどうだろう。私自身の記憶がないので、真相は闇の中だ。ただ雰囲気が怖かっただけかもしれない。それもある意味霊感というか、第六感的なものと言えなくもないが。
そしてもう一つ、これは私自身記憶がある。私は幼い頃おじいちゃん子で、本当に祖父のことが好きだった。その祖父が亡くなったあとしばらく、よく「あそこにおじいちゃんがいた」とか「今おじいちゃんに呼ばれた」とか言っていた。おじいちゃんを探し求めていた。当時の私は見えた、聞こえたと思っていたが、それも今となると勘違いというか、願望が作り出した幻だったんじゃないか…とも思う。疑っても仕方ないので、死んでもおじいちゃんがそばにいてくれる、と思う方が夢があるかもしれない。尚根拠はなくこれもただの願望だが、私は自分の守護霊はそのおじいちゃんだろうと勝手に思っている。

私は幽霊を見たくないが、幽霊の存在は信じたいと思う。幽霊は恐ろしさと共に夢がある。

だから私はホラー映画やホラー小説が好きだ。ホラーのくくりではない、幽霊が出てくる温かい物語も好きだ。もっと読みたい。


私が死ぬときは思い残すことなく死にたいけど、死んだあと自我が全て消え去る前に、私も幽霊になって出てみたい。