すきなくらし

映画、ドラマ、小説、舞台等の感想記録と、たまに雑記

『リトル・ダンサー』を観る

何回目かもはやわからない。
リトル・ダンサー』を観ました。
今回観たのは先月NHK BSプレミアムで放送していたものです。



ネタバレありの、とりとめのない語り。





感想

何度観ても色褪せない、どころかより色濃くなってくる、改めて言う必要のないほどの名作。

全編を纏うのは、言葉にされない深い「愛」と、悲しみ、切なさ。
ハッピーエンドの割に明るい印象がない作品で、でもそこがまたたまらなく好き。


急に見つけた「好きなこと」。そして見出された才能。
この映画のタグラインは下記。

Inside every one of us is a special talent waiting to come out. The trick is finding it.

ビリーの才能は見つけられた。
「男がバレエなんて」と言われながらも、好きなことを続け、そして続けることを認められる。


ビリーに輝かしい未来が開ける一方で、大人たちは取り残される。
ウィルキンソン先生。いきなり現れて、一気に自分のもとで成長し、あっという間に自分を追い越し去っていった才能。
ジャッキーとトニー。「俺たちは終わりだ」と息子に告げるしかない父親。突きつけられた息子。
ビリーが去って、彼らはそれぞれ今までの生活に戻る。この田舎で、変わらずに。
その悲しさと諦め、やるせなさが非常に胸に迫ってきた。私ももう大人になったから。




この映画は、あまりにも深い愛で溢れている。
「愛してる」とは誰も言わないけれども。


ジャッキーは息子の才能と情熱を知り、息子のために動き出す。自分を押さえつけて、ビリーのことを第一に考える。息子をここに留めておくことはもうできないと。
妻の遺品を質に入れる。
面接で、「ビリーを支えることができますか?」と聞かれたときの、何を当然のことを言ってるんだ?と言わんばかりの顔。
合格を知ったときの弾ける喜び。
旅立ちの前の、墓場でビリーと過ごす時間。
別れのハグ。
成長したビリーの舞台を観るあの涙。

小ネタだけど、初めてウィルキンソン先生の家を訪ねたビリーとジャッキー、それぞれが同じところで同じように犬にびっくりしてるのを見て、ささやかだけど親子を感じさせる演出だな、と愛おしくなった。これ初めて気がついた。


トニーは弟に対してぶっきらぼうだ。男の子兄弟はこんなもんなのか。
バレエにも強く反対する。
でも何かというと口をつく「まだビリーは11歳だ。ほんの子供だ」には、弟のことをとても心配している心情がうかがえる。
ハイライトはやはり別れのシーン。おそらく聞こえないことを承知で言う、"I miss you."の言葉。
兄がなんと言ったか知りたくて、バスの中で叫ぶビリー。


強い強いハグをして、「もう行け」と言うようにビリーを押し出すおばあちゃん。

呼び止めたものの、何も言うことができないマイケルにキスをするビリー。


一瞬で自分の元を去った教え子。
ビリーにはひどいことも言われたけど、輝かしい時間だった。
ビリーが去ったあと、ひとりホール内に佇むウィルキンソン先生の姿が胸を打つ。




ダラスにいる間、注目されていたのは「男」がバレエなんて、という部分だった。
が、オーディションに来てみれば、目立つのは「男」だからではなく、いわゆる階級の差だった。
学校の先生生徒はもちろん、オーディションに来ている他の子どもたちも、皆裕福そうだ。
ビリーと父親は、言ってみれば異質な存在。
オーディションで披露する踊りもそうだろう。
このダンスに審査員がどんな評価をつけたかはわからないが 、他の子を殴ったりした時点で、あの上品な学校ではもう不合格になっていてもおかしくない。
それを合格に導いたのは、面接最後のあの名台詞だ。

I forget everything… and sort of disappear. Like I feel a change in me whole body. Like there’s a fire in me body. I’m just there. Flying… like a bird. Like electricity.

あまりにも純真な、眩しいほどの、踊ることに対しての思い。それに感銘を受け、きっと未来への希望を託して、学校はビリーを受け入れることにした。




今まで私が観ていたこの作品は、挿入歌に字幕がなかったように思う。
私は英語が出来る人間ではないので、この歌はこんな歌詞だったのか、というのが今回多かった。
当たり前だが、場面場面にあまりにもマッチした選曲。
Blu-rayも持ってるけど、この録画も保存しておこうと思う。





輝かしく、愛し愛された少年と。
もう残りの人生、今までのように生きていくしかないと諦める大人たち。
時代の鬱屈。
淡々と描かれる中、根底に流れる愛情が深く胸を締め付ける作品。






ビリー・エリオットジェイミー・ベル

私がジェイミー・ベルが大好きだ。
この映画も大好きだ。
でも私の中で、ジェイミーは20前後からいきなり、猛烈に演技力が増したイメージがあった。
けど、これがどうだ。
ビリーを演じるジェイミーって、こんなにも上手かったのか。


ジェイミーとビリーが似ているかはわからない。多分似ていないと思う。
でもこのジェイミーとビリーというふたりの少年の融合具合がすごい。
この役はジェイミー・ベル以外にあり得ない、と思わされた。
ジェイミー自身の演技力もだけど、監督の手腕がすごいんだと思う。子役の魅力をあますことなく引き出す。(『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』のトーマス・ホーンも素晴らしかった…)


子どもらしさと達観した大人っぽさ。優しさと残酷さ。上品さと荒っぽさ。愛らしさと厳しさ。無垢さ、気の強さ、やり場のない悲しみと怒り、家族への愛、友情、そして「踊り」への思い。
あらゆる要素、相反する要素さえも全て内包したジェイミーの素晴らしさと言ったら。


この作品はミュージカル化していて、今となってはあらゆる子が「ビリー・エリオット」を演じている。素晴らしい才能を持った子がたくさんいる。
そんなミュージカルのキャスト達と比べると、ジェイミーはダンスはいまいちかもしれない。
実際ミュージカルの子たちってとてもハイレベル。初代ビリーのリアム・ムーアは実際バレエダンサーになるし。有名どころだと、スパイダーマントム・ホランドもビリーを演じている。彼のずば抜けた運動神経はまた有名だし。私が観たのは映像化しているエリオット・ハンナ。すんごい。日本版も一回観たけどこっちも凄い。
でも「映画のビリー・エリオット」は彼だけだし、私にとってのビリー・エリオットも、いつまでもジェイミー・ベルなんだ。
ビリーはジェイミーであり、ジェイミーはビリー。切り離せない。
監督がジェイミーを引き出してくれたからこそ、ジェイミーだったからこそ、この作品はこんなに素晴らしくなった。
今まで、ここまでのことを思ったことはなかった。でも今回そう思った。


知ってる人は知っているだろう、ジェイミーはフレッド・アステアを演じることが決まっている。
この映画にもアステアが出てきて、ジェイミーはタップダンスを披露し…私は未来の映画への期待にはち切れんばかりだ。






いつもなんて書いて終わったらいいのかわからない…。
とりあえずこの色褪せない名作、未見の方はぜひ。




リトル・ダンサー』を観てから『ロケットマン』を観ると、感動も倍増だよ。

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